「桜で在りながら柳を模し、柳に見えて柳ではなく。柳と桜、どちらにもなれない……雪柳は憐れだな」
「でも、きれいでしょう?」
たとえ己が何者かは分からなくとも、巡る季節の中で咲いては散り咲いては散り。何れ散り往く定めと知りながら、生きた証を鮮やかに咲き誇る。
「それが花の生き方、か」
中西モトオ 鬼人幻燈抄
自分は何者か?などということを問うことには、ほとんど意味などないと僕は思います。
桜か柳か…分類や他者からどう見られるかなどという事よりも、己がどんな花を咲かせるか。
自分を表現するのに、社会の枠組みから外れるような必要もなく、かと言って清廉潔白であるなど気味が悪い。理想を掲げても、それはなかなか上手くいくものでもなく。
僕は精一杯出来る事を、愚直に続けるのみ。夜目が効かないまま、闇夜を進むようなものだとしても。
いい歳なので、あとどれくらいの事を実現出来るかは分からないですが、コーヒー屋として、もう少し進みたいなぁと思います。とりわけ焙煎に関して。
暑い中でも足をお運びいただけて、豆もお買い上げいただいたり。誰もいなくて拗ねていられたのは一時だけ。今日もありがとうございました。
明日はさらに暑いようですが、10時から、店内を涼しくして、緩りとお待ちしております。
#unit_coffee_stand