「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だ。」
太宰治 女生徒
太宰は、美とは人が見つけ、人が愛するからこそ、美になるのだと言っているのでしょうか。
桃は美しい。可愛らしくもある。
少し傷があっても、その美しさは変わりません。
『女生徒』には、こんな一節もあります。
「美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。」
美は何かの役に立つ必要もなければ、善悪で測られるものでもない。
だから「無道徳」。
そんな考え方は、十九世紀フランスの「芸術のための芸術」や、オスカー・ワイルドの美学にも、どこか通じるものがあるのかもしれません。
ただ、太宰はもう一歩、人間の側へ歩み寄っています。
美は、そこにあるだけではなく、人が見つけることで初めて美になる。
桃は、美味しいから美しいわけではないのでしょう。
でも、もし桃が食べられないものだったら、その美しさに僕は気づけていたでしょうか。
福島では、桃をお腹いっぱいに食べられる季節があります。
例えばお客さん @ef_lycorisradiata からいただくこともあれば、驚くほど手頃に買えることも。お昼ごはんが桃という人も身近にいます。
ひどい雨も時に美しく見えることもあります。
雨後に見上げた夜空の月は美しく。
それ以上に桃は美味しく… @__karin.w__ さん、土砂降りの中持ってきてくれてありがとう。
明日からしばらくお休みをいただきます。
休み明けにはunitを思い出していただけたら嬉しいです。
