2026.08.27

.善意は正解なのでしょうか。文脈や境界を越えれば、それは時に暴力的でもあること。コーヒー屋をやっているので、コーヒーのい...


善意は正解なのでしょうか。
文脈や境界を越えれば、それは時に暴力的でもあること。

コーヒー屋をやっているので、コーヒーのいろんな話を聞きます。

朝のコーヒーには身体に良い。
飲むだけで脂肪が燃えて痩せる。
ガンの特効薬。
あらゆる病気の予防に役立つ。

コーヒーにはカビや毒素があるからガンの元。
不妊の原因になる。
妊娠中は完全な劇薬。
コーヒーを飲むとシミができる。

もはや都市伝説的な面白さ。

コーヒーとは離れますけど、病気や身体のことでも、「ワクチンを打ったから自閉症になった」なんて話まであります。

どうにも短絡的だなぁ、と思ってしまいます。

もちろん、原因を探ることは大切です。それが分かれば、取り除いたほうがいいものもある。

でも、

「その後に起きた」ことと、
「それが原因だった」ことは違う。

ひとつの研究があることと、そこから結論を導けることも違う。

原因を見つけて、悪いものを取り除けば、正しい状態に戻れる。

そんな考え方が人間に向いたとき、少しずつ話が変わってくる。

「こうあることが正常で、そうでないものは異常だ」

そうやって人間を分け始めると、
「障害をなくしたい」という願いが、「障害のある人はいないほうがいい」という思想にまで、変わってしまうことがある。

もちろん、障害によって生まれる暮らしにくさは、減らしていけばいい。

でも、

「障害をなくすこと」と
「障害のある人をなくすこと」は、
まったく違う。

その境目を、人間が簡単に越えてしまうことが、僕には少し怖い。

問題は、必ずしも悪意から始まるわけではないところにあります。

「危ないらしいよ」
「念のため、気をつけて」

そんな善意から、噂や偏見が生まれることもある。

だから、善意も少しくらい疑ってみても良いのかな。

これは本当にそうなのか。
僕は何を根拠にそう思うのか。
これを誰かに伝えることは、本当にその人のためなのか。

人間も、身体も、社会も、たぶんそんなに単純ではありません。

分からないことを、分からないままにしておく。人を簡単には分類しない。

自分の「正しさ」を誰かに押しつける前に、一度立ち止まる。

そうやって少しだけ余白を残すことが、人に対してできる、ひとつの優しさなのかもしれません。

何かを悪者にしなくてもいい。
すぐに答えを出さなくてもいい。

分からないままでも、その人を大切にすることはできると思っています。

明日はお休みをいただきます。
土曜日には、思い思いにコーヒーをどうぞ。
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