このようなことらしいです!
振袖の元になったのは、振八つ口のあいた子供用の小袖である。稚児大師図(香雪美術館蔵・鎌倉後期)などに見られるように、子供の小袖は中世の時代は体温を逃す振りの八つ口をあけていた。それに対し大人の小袖は袂が短いのが古くからの形であった。
時代の変遷により平和な時代が到来すると、大衆が見繕い(みづくろい)をするようになり、普段着以外の正装や晴れ着が出現した。
元は男女とも和装に振袖を採用し、振袖火事の原因と伝えられる紫縮緬の振袖も少女が意中の若衆の衣装を写して着用したものといわれ、色柄や構造に男女差がほとんど無かったことが窺える。
現在振袖と呼ばれている和装が発生した時期は、江戸時代である。江戸時代前期に、若い女性が着る正装の和装の袖丈が徐々に長くなっていった。元禄時代(1688年-1703年)には袖丈が55㎝から95㎝くらいだったのが、江戸時代末期(1867年まで)には袖丈が95㎝から122㎝くらいになったといわれる。明治時代以降、未婚女性の華やかな正装として定着していった。
たもとが長くなると布面積があるため一層華やかに見える。しかし、丈が長くなればなる程、動作や作業の邪魔になることが多くなる。日常の普段着では長い袖丈は着用されなかった。
その後女性の衣装としてのみ発展、関所を通る際は未婚女性は振袖を着用しないと通貨が出来ない(年齢や身分をごまかしていると因縁をつけられたため)など、未婚女性といえば振袖を着用するものという認識が広まった(余談だが関所の近くにはたいてい貸し振袖屋があったという)
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