花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
吉田兼好 徒然草 137段
散りゆく桜が季節の移ろいを知らせてくれます。散り積もる桜の花びらも良いものです。
美しい満月、咲き誇る満開の花ばかりではなく、盛りを終えて散りゆく花にさえ、その趣と美を見る心性。
「月、花をば、さのみ目にて見るものかは」
むしろ目には見えずとも桜花のその美しさを思うこともできるというものと、徒然草にはあります。
そのものの美しさもありますが、映り込む影にもその美しさがあります。
光り輝くような眩しさの美しさもあれば、落ち着き翳りのある薄い暗さの美しさもあります。
珈琲は燦々と照る太陽の日差しを、日陰樹によって遮られることで、実付きをよくします。
煌めく日差しを必要としつつ、美しい実を付けるには影を必要とします。
対をなして対極のように言われる物事は、決して反発しているものではなく、緩やかに繋がっていたりします。
偶然のようでいてそこには必然である何かがあると、僕は思っています。
もしも、たまたま当店を見つけて、たまたまコーヒーを飲んでいただけたとしたら、そこには何か必然性があるのかもしれません。
…たまたま見つけて入る。unitの立地ではあまりないか。
明日は10時から。是非めがけてお越しください。お待ちしております。
#unit_coffee_stand