そのころ日本橋も小網町のほとりに「鴻の巣」といふ酒場が出来た。まづまづ東京の最初のCafeと云っても可い家で、その若い主人は江州者ながら、西洋にも渡り、世間が廣く、道楽気もある気さくな亭主であった。
木下杢太郎 食後の唄
日本人が日常的にコーヒーを飲むようになったのは、明治時代。
竹久夢二が生きたのは大正時代。この時代は喫茶店文化が花開いた時代でした。
竹久夢二は画家、詩人、デザイナーとして多様な活動を行い、当時の最先端を生きていましたから、コーヒーにも触れていたとは思いますが、好んでいたかどうかは分かりません。
大正のコーヒー文化の先駆けは、明治期の「パンの会」(コーヒー愛好家の会)です。
パリのカフェで芸術を語り合うという文化を知り、文学と美術の交流、芸術を語り合う場所が必要だと、北原白秋など若い芸術家たちが始めた集まりです。
日本橋小網町の「メイゾン鴻の巣」を利用して毎月会合を開いていました。後半は酒で大騒ぎというような感じだったようですが…。
北原白秋、森鴎外、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷風、俳優の市川左団次、市川猿之助、美術同人誌『方寸』に集まっていた画家の石井柏亭、山本鼎、森田恒友、倉田白羊ら、若い芸術家が交流しました。
ここから、前世代の自然主義的傾向を脱して、耽美的、ロマン主義的な芸術が生み出されてきました。
鴻の巣は、日本で最初期のカフェバー、カフェレストランですね。
その後「カフェパウリスタ」など、一般市民でも楽しめるコーヒー店がオープンして、コーヒー文化が一気に拡大します。
「カフェパウリスタ」は大正時代の最盛期には全国に20余りの支店を数えるほどになりました。
ブラジル政府の助成が入って、コーヒー1杯5銭。他店では15銭程だったようですから、かなり格安になったようです。ちなみにアンパンは大体1銭だったようです。
コーヒーは江戸時代から現代まで、案外長く日本の文化に関わってきたようです。
福島県立美術館では12月14日まで竹久夢二のすべてを開催していますから、大正の浪漫に触れに行かれるのも良いかと。
帰りにはぜひ当店にお立ち寄りを。美術館からすごく近いです。
大正期は深煎りメイン。当店は浅煎りメイン…ですが深煎りもあります。ブラジルのコーヒーもあります。
芸術論を語り合っていただいてももちろん結構です。unitの主人は、鴻の巣の主人のような粋な人物ではないですが。
明日は13時からオープンの予定です。午前中はお休みですのでご承知おきを。
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