「いいえ、私は私。あなたじゃないわ」
綾波レイ 新世紀エヴァンゲリオン 第弐拾参話 「涙」
福島をはじめ東北の多くの人が望むコーヒーというか、イメージするコーヒーの味と香りは、もしかすると僕が伝えたいものとは少し離れているのかもしれません。
正直、合わせるのは意外と難しくないと思います。
ただそれは誰が望んでいるのか。少なくともそれは僕ではないです。
もし、ただ何となくニュアンスを踏襲して、何かに合わせたものを出したら、僕の必要性は無くなります。
必要とされてなければ、お店は無くなるだけです。それはそれです。当たり前の仕組み。また何かを始めれば良いのです。
無くならないようにするために、自分の何かを無くすなら、僕の存在をなくすことになります。それは終焉。その後は何も生まれません。
苦痛を抑圧することは健全とは言えません。理不尽な経験を、自分のためだと歪曲して記憶するのは、自他の線引きができないがために起こること。
この仕組みは、体罰や虐待を良しとしてしまう、立場を利用した他者への侵害、コントロールに繋がります。
嫌なことは嫌なんです。僕がいいと思うものを、あぁこういうのもいいねとか、こんなコーヒーもあるんだって楽しんでもらえると嬉しいです。もちろん「うぇ〜…」って思っても良いわけです。
浅煎りとか深煎りとかは正直あまりこだわりがないので、メニューには記載しておりません。お好みを伝えていただければお伝えできます。
産地や品種、精製方法などは記載しています。その特徴を捉えるのには良いかなと思っていますので。
もちろん無理強いはしないけれど、色々なものを試してみて損はないです。
例えば「酸っぱい」もその質は様々ですし、例えば産地の在り方も様々。
ステレオタイプと偏見や固定観念や確証バイアスで損をしていることもあると思います。
「あ〜浅煎りなの…酸っぱくて美味しくないやつだ」って面と向かって言うあなたは私ではないからいいのですけど。
「おたくは中国のコーヒーなんて扱ってるのね、じゃダメだ〜」って笑うあなたは、私じゃないからいいのですけど。
あなたはそれでいいのでしょうか?
バウンダリーは大切です。自他の境界を守らないと、何だかいつまでも引っかかってしまいます。
感じ良いと思いますよ、浅煎りもチャイナも。もちろん深煎りのコーヒーも素敵だし、どの国の豆も個性が生きています。お試しください。その上でのご判断ですから。
明日はお休みをいただきます。ご足労なきように。
ちなみに1枚目の写真は米。コーヒーではなく新米です。コーヒー屋のインスタですが、米です。持地さん @mochiji_endou_nouen からお買い上げしてます。
#unit_coffee_stand
