「自分」の「身体」は「物体」だが、「自分」の「生命」は「現象」なのだ。
前野隆司 『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』
本日もありがとうございました。
強い雨の中でもお越しいただき、嬉しく思います。
お弁当やピザ、ケーキからいぶりがっこまで、いろいろといただいて、お腹いっぱいになりました。
ところで、食べたものは、どの辺から自分になるのでしょう。
目の前にある食べ物は、自分ではない。
食べて、消化され、吸収されれば、自分の身体の一部になる。
その流れは一気に起こるのではないから、それらは「徐々に」自分になっていく。
そう考えると、「自分」と外の境界は、思っているほどはっきりしたものではないのかもしれません。
コーヒーだって、豆だったものを焙煎し、挽き、お湯を通してその液体を飲む。
そう考えると、「自分」と「外」は、別々のものとして存在しているというより、ずっと行き来しながら続いているあいまいなものかもしれません。
いや、何なら「あなた」と「わたし」を分けるものって何なんでしょう…。
明日は10時から。
コーヒーという液体は生きるためには不要です。
それを飲むということは、現象としては生命の営みそのものです。
よく分かりませんが、楽しみましょう。
