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阿武隈急行が高子駅に近づくと「伊達氏発祥の地、高子」とアナウンスが流れることをご存知だろうか? 戦国時代、天下にその名をとどろかせた「独眼竜政宗」のルーツがここにある。 源頼朝の奥州征伐が行われた文治5年(1189年)。この時頼朝公に従軍した常陸国の中村一族はこの戦いでの功により頼朝公から伊達郡を賜った。そして、氏を伊達と称することになる。 |
伊達氏初代朝宗は高子ヵ岡舘に城館を構え、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したという。ここ、伊達市保原町高子が伊達氏発祥の地である。 以後360年余、伊達氏は梁川、粟野大舘、桑折西山など伊達地方を本拠として勢力を拡大していくこととなる。 |
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阿武隈急行やながわ希望の森公園前駅から歩くこと15分。緑の杜の中に梁川八幡神社(旧梁川亀岡八幡宮)が鎮座している。 伊達氏の祖、朝宗が高子ヵ丘に勧請したとされる亀岡八幡宮は、伊達氏の本拠地が変わるたびに遷宮され、梁川城築城の際に梁川八幡に合祀された。 |
伊達氏ゆかりの神社として知られ、第17代伊達政宗も、天正10年(1582)出陣に際し戦勝祈願を行っている。また、政宗13歳の時、三春から愛姫を迎え入れたのもこの場所だと伝えられている。 |
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阿武隈急行保原駅のホームに立つと、阿武隈山系の緩やかな稜線が目に入る。その最北端に奇岩怪石が連なる特異な山容――名峰 霊山。 |
霊山は、貞観元年(859)比叡山延暦寺の座主円仁(慈覚大師)の開山と伝えられ、釈迦が修行したインドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえて命名された。峰々には3,600の僧坊を数え、470年余の間、東北山岳仏教の一大中心地として栄えたという。 |
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