2020.05.08
成蹊を探れ! 第12回(特別編) 2つの「中学校」 ~半世紀を隔てたリレーションシップ~
いったん、最終回を迎えた「成蹊を探れ!」ですが、どうも、やり残した感がぬぐい切れないのは「中学校」についてでした。
現在、「福島成蹊中学校」が創立12年目となっていますが、実は、1948年(昭和23)、本校が新制高等学校(「成蹊を探れ!第9回」参照)となったとき、「中学校」が設置されていたのです。名称は「福島成蹊女子高等学校附属中学校」。新制に移行するとき、旧・福島成蹊女学校には、新制6・3・3制では中学生の年齢にあたる生徒も在籍しており、そのズレに対応するための受け皿として必要、というのが実状だったようです。時代の波に翻弄された世代とも言えますが、機関誌『桃李花ひらいて』に収録されている中学校第3回卒業生の回想を読むと、悩みを抱えながらも、楽しく生き生きと学校生活を送っていた様子が伝わってきます。
①映画「青い山脈」を観に行って、先生に注意を受けた。「あんな大人の映画観るんでない」と。
②運動場は公会堂の東側の庭で体育の時間ソフトボールをしていて、公会堂の入り口のガラスを壊したり、公会堂の前の和菓子屋さんのショーウインドウのガラスを割ったりした。明石先生がよく謝りに行っていた。
註:当時は宮町校舎(「成蹊を探れ!第1回」参照)でした。和菓子屋さんは今もありますね。
③荒井から学校まで、1時間40分かけて登校。道路も砂利道なので下駄の鼻緒は1週間で切れる。いつも日曜は鼻緒を作って、途中で切れるとすぐ換えた。
④授業料滞納(1ヶ月400円)で職員室に書かれていてつらかった。父は畳職人なので、仕事がないと収入もなく。
⑤修学旅行、公立中学では1泊2日なのに、成蹊では2泊3日で奥日光へ。公立の友達から羨ましがられた。米と味噌は事前に旅館へ送っていた。
⑥あこがれの先生、いた。狭い廊下ですれ違うとドキドキして先生の顔見られなくて下向いてすれ違ったら廊下の柱に頭ぶつけた。
⑦雪が多く降って通学に難儀した。学校で雨長靴の抽選(遠距離通学者)などがあって、当たると大喜びだった。
⑧校訓決まって、校長先生、始業式で発表「桃李不言下自成蹊」、巻紙に書いて。でも難しくて、読みも、意味もわからなかった。
⑨セーラー服は買うと高いので自分で縫って着た。難しいところは本科の先輩に放課後教えてもらって縫った。うれしかった。
⑩履物は規定がなく、下駄、ズック、革靴、中には草履を履いていた人もいた。
⑪私は梁川町から電車通だった。車内で編み物をしていると、「成蹊の生徒さん、裁縫学校だけあって上手だネ」と言われた。裁縫学校ではなく、新制中学校なのにと思ってふくれた。
⑫弁当はノリ弁とかカツ弁(鰹節をふりかける)で、自分で朝作って持参した。塩ジャケなど持ってきたら大騒ぎされた。
また、全国インターハイ卓球女子シングルスで準優勝した(「成蹊を探れ!第4回」参照)松本厚子さん(旧姓:奥村、昭和30年度卒)のこんなことばがあります。
「成蹊中学校時代に卓球にあこがれてクラブに入り、高校生の先輩たちに手取り足取り指導してもらったことが自分たちの実力を向上させた礎でした。」
中学校時代の基礎があったため、高校3年間は向かうところ敵なし。昭和29年の県高校総体で団体優勝し、以後「卓球の成蹊」と言われる黄金時代を築きました。
さまざまな成果を上げた「中学校」でしたが、1955年(昭和30)3月に7回目の卒業生を出し、新制中学校としての役割を終えました。
それから時を経ること半世紀余り、2009年(平成21)に「福島成蹊中学校」が開校。中高一貫6カ年教育がスタートしました。その背景には「首都圏と地方の教育格差」がありました。
首都圏には東京大学の合格者が100名を超える学校もありますが、福島は県全体でも十数名にすぎず、その差は「教育環境」に他なりません。もちろん、東大合格が教育の全てではありませんが、東大合格は現実的に受験の実力を示すバロメーターです。福島にはそのための選択肢が極めて少なく、生まれた場所によって子どもたちの未来の可能性が大きく狭められているとしたら、あまりに残念なことと感じられました。
東大合格を始めとして、現在、高い実績を上げている学校のほとんどは「中高一貫校」です。本校でも全国の多くの中高一貫校を視察しました。そして、成功している学校の方法論と福島という地域の実態を踏まえて「首都圏型」と名付けたプログラムを構築。「東京大学」「医学部」の合格を標榜し、福島成蹊中学校はスタートしました。
その基盤には「6カ年3段階プログラム」があります。最初の2年間で人間としての器をしっかりと作り、次に段階的に学問の基礎力、応用力を高めていくという手法です。「人間づくり」の手段は「行事・体験」です。人間は自分の体験を元に物事をとらえますので、より多くの体験をすることによって、人間性を豊かにし、さまざまな物の見方や考え方を身につけることが目的です。宿泊行事だけでも6年間で67泊91日分があります。数が多ければいいというものでもないでしょうが、今のところ、この数字を上回る学校を知りません。もしあれば、ぜひ、情報をお寄せください。
今年、中高一貫コースの6期生が卒業し、2年連続で東京大学合格者を出すことができました。また、医学部も慶應義塾大学、福島県立医科大学、防衛医科大学校、自治医科大学など、のべ12名が合格。「看板に偽り無し」と言える結果となりました。
卒業生の皆様からは、「昔の成蹊とは違うね」「自慢の母校になりました」と言っていただくことが多く、たいへんありがたい限りです。しかし、本質的な部分は変わっていないように思います。どうも、ガリガリ勉強ばかりやっているイメージが強いようですが、上記のように人間教育・人格教育を基盤としていることは校訓の通りです。生徒たちが目標を持って真摯に努力をする、仲間の絆がそれを支える、教員がしっかりとバックアップする。そういった環境があればみんな頑張ることができるし、みんな伸びます。その「環境」を提供できることが成蹊の教育の最大の特徴であり、それは100年前も現在も変わっていません。今回、このシリーズをまとめる中で、そのことを実感することができました。
先の見えない現在の状況ではありますが、生徒が成長できる環境作りに邁進したいと思います。Team SEIKEI(あらゆる成蹊関係者、成蹊ファンの皆様)、応援よろしくお願いいたします。
福島成蹊中高一貫ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/jhs/
福島成蹊高等学校ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/hs/

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