福島成蹊よくある質問


新着情報

2020.04.21

成蹊を探れ! 第2回 制服の変遷 ~時代をリードしたセンス~

 「成蹊を探れ!」、第2回は「制服編」です。

創立期
 最初の卒業生は、創立翌年の1914年(大正3)3月、修業年限1年の「教員養成科」10名となっています。この時代の写真を見ると、白黒なのではっきりとは分かりませんが、みな、着物の形は同一であるものの、色・模様・紋などは統一されておらず、現代のような「制服」ではなかったことがうかがえます。
 はっきりと「制服」が見て取れる写真として、昭和5年のスナップが残っています。上はえび茶とねずみ色の縦縞、下はえび茶の袴となっており、とってもおしゃれに感じます。現代でも通用するセンスではないでしょうか。

福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール

統制期
 1941年(昭和16)には制服にも戦争の影が及び、文部省から制服統制が出されました。具体的には女子は「セーラー服を廃し、襟は右前・ヘチマ型、ベルト付上着と襞なし裾開きスカート、左胸に所属学校の標識を付ける」となっていました。1944年(昭和19)に入って、スカートではなく、成人女性と同様にモンペへと変更されたということです。

福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール

教育民主化の波
 太平洋戦争が終わり、教育界にも民主化の波が及ぶ中、1950年(昭和25)には「制服は生徒自らの手で制定しよう」という運動が活発に展開されました。「家庭科」の教育課程を持ち、被服にも力を入れていた本校では、全生徒に呼びかけ、一人1点のデザインを提出させ、その中から3種類の制服を製作し、生徒集会や職員集会を経て、新制服の基礎を完成させました。この制服は、リボンや徽章の若干のマイナーチェンジはあったものの、実に41年間に渡って本校の「看板」の一つとなってきました。成蹊生、教員にとって、とても愛着のあるデザインで、現制服への移行の際も、廃止を惜しむ声が最後まで続きました。

福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール
福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール

SI計画~現在
 昭和50年代、全国の学校現場が様々な問題を抱える中、時代は平成となり、本校でも「魅力ある学校づくり」を推し進めることになりました。「SI(School Identetity)計画」とも呼ばれ、伝統を保持しつつ、時代に合った「新・成蹊」を生み出そうという流れの中、新制服の制定も課題となりました。前項にもありましたが、生徒・教職員の旧制服への愛着は強く、さまざまな議論がありましたが、1991年(平成3)に「森英恵デザインDCブランド」の採用が決定されました。当時は鞄、コートも含めた「トータルファッション」ということも大きな特徴でした。また、下の写真にはありませんが、オプションとしてカーディガンやニットベスト、タイの色は3色、スカートもチェックの別デザインが用意され、コーディネートが楽しめるようになりました。夏服には開襟ブラウスもあり、旧制服で訴えの多かった「福島の夏にリボンは暑い」という問題も解消されました。当時、県北地域では本校が「制服改革」のさきがけとなり、以後、多くの高校で新制服が作られていきました。
 2004年(平成16)に共学化。男子制服の制定が必要となりました。いくつかの案が提示され、全生徒の投票なども行われました。生徒間では「ブレザー」案が最有力でしたが、結果は同地区で例のない「紺の学生服」を採用。今では成蹊男子生徒の代名詞となりましたが、当時は斬新なデザインでした。

福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール

中学生も「TeamSEIKEI」
 2009年(平成21)、福島成蹊中学校が設立。制服は高校生に準じて設定されたものの、中学生らしさも感じさせるものにもなりました。女子は高校生のダブルに対し、細身にも合うシングルに。かわいらしさを押し出した赤チェックのスカートはとても評判がいいです。男子は高校生の「金」ボタンに対し「銀」に。活動的な中学生に合わせ、夏のポロは、透け防止、乾きやすい、などの実用的な機能も付加されました。

福島成蹊中学校・高等学校|福島県・中高一貫校・オープンスクール

福島成蹊高等学校ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/hs/
福島成蹊中高一貫ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/jhs/

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対して福島県北最大級ポータル『ぐるっと福島』は一切の責任を負いません