2020.04.27
成蹊を探れ! 第6回 グラウンドの謎 ~第2があるのに第1がない!?~
現在はグラウンド2面、体育館はバスケット2面分の大ホールに加え小ホール、トレーニングルームと、地域トップクラスの体育施設を誇る本校ですが、私が着任した平成2年はかなり深刻な状況でした。体育館はバスケット1面分のみの広さ。しかも床があちこち抜けていて、板を釘で打ち付けている状態でした。
そして、不思議だったのは、先生方がグラウンドのことを「第2グラウンド」と呼ぶことでした。なぜなら、グラウンドは1つしかなかったのです!
唯一のグラウンドをなぜ「第2グラウンド」と言うのか?その謎の答えは上浜キャンパスの変遷にありました。
1959年(昭和34)に上浜町校舎が完成したときには下の図の左のように敷地内に第1グラウンドが存在していたのです。しかし、十分な広さではなく、やがて、徒歩5分程度離れた土地に新たにグラウンドを建設。これが現存する第2グラウンドです。第1グラウンドがあったのですから「第2」という名称がついたのは当然のことでした。
やがて木造の校舎は次第に老朽化。加えて道路を拡張する福島市の事業により、校地の北面が接収されることが明らかになりました。そこで1983年(昭和58)の創立70周年記念事業の一環として新校舎が建築されました。下の図の右では「南校舎(新校舎)」となっていますが、これが現在の「本校舎」です。本校舎は旧・第1グラウンドの上に建てられたのです。これにより第1グラウンドが消滅し、第2グラウンドのみが存在するという状況となったのです。
1959年(昭和34)の航空写真。旧・第1グラウンドが見てとれます。※上の図とは逆向きです。
旧・南校舎と現・本校舎がどちらも残っている状態。左側はおなじみの現・本校舎の生徒昇降口。奥には旧・西校舎が見えます。
1990年(平成2)からはSI計画(「成蹊を探れ!第2回制服の変遷」参照」)により、新しい施設の建築が進められました。旧・北校舎、西校舎、体育館が解体され、1991年(平成3)には山田記念体育館が完成。体育館建設のために西側にあった福島県身障者センターとその間の道路の敷地を取得。道路は上浜町の皆様の生活道路だったため、地域の方々には並々ならないご理解とご協力をいただきました。一方、校地の北面の一部が県に接収され、道路が2倍の広さとなって歩道もでき、生徒がより安全に登校できるようになりました。
1992年(平成4)には旧・体育館があった場所に東校舎が完成、2014年(平成26)には100周年記念事業の一環として南校舎が建設され、現在の上浜キャンパスに至ります。
一方、グラウンドは、と言えば、現在の腰浜キャンパスの場所に2003年(平成15)に新グラウンドが完成。「福島成蹊高等学校第1グラウンド」(当時)と命名され、20年ぶりに第1・第2グラウンドが揃うことになりました。第1グラウンドは野球1面・サッカー1面、陸上走路、テニス4面が揃う規模。それもそのはず、ここは旧・福島大学附属中学校の校舎、体育館、グラウンド、プール等、全ての施設が収まっていた広さの敷地なのです。夜間照明も備えられ、授業、部活動に充実した環境となっています。
実は、私は福島大学附属中学校がこの場所にあった時の最後の卒業生です。第1グラウンドを見ているとあの頃の校舎や友人たち、先生方のことが鮮やかに脳裏によみがえります。
福島成蹊高等学校ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/hs/
福島成蹊中高一貫ホームページ→http://www.f-seikei.ed.jp/jhs/

いいね!

いいね!
4